「アフターダーク」★★★☆☆


経緯:なんとなく売店


文庫本1冊を手に、ホームへの階段をあがった。
久しぶりの小説。久しぶりに、小説を読みたいと思った。


村上春樹、「アフターダーク」。
人気の作家だけど、正直私は苦手。ノルウェーの森とスプートニクの恋人を読んだことを記憶しているが、いずれも靄がかかったような空気感の中で話が進み、最後まで読んでもなんとなくすっきりしないような曖昧さを感じ、煙に巻かれたような腑に落ちない印象だ。あるいはそれらを読んだ当時の私がその浮遊感のある空間設定に耐えられる読書力を持っていなかったのか、、どちらにしても、とにかく好んで読む作家ではない。
だけど私は昨日はどうしても帰りの新幹線で何かを読みたかったし、駅中の売店には他に特に選択肢もなかった。
アフターダークのテーマはおそらく、「こっち側」の人間と「あっち側」の人間の間には垣根なんかなくて、どんな人でも「安定していると思っている足元の地面がある日一瞬にしてなくなってしまう」可能性があるということ。それは、過去の出来事から何者かに追われているラブホテルの従業員の「コオロギ」の言葉、そして孤児になった経験を持つ楽器好きの大学生「高橋」の裁判所での経験談を通じて語られる。そして、小説を通じて舞台に入れ替わり登場する他の人物のエピソードたち。普通のサラリーマンである「白川」。一見普通に見える彼だが、一つの行動によって彼の足元は崩れ始めている。結論は物語の中では語られないが、彼はまもなく「あっち側」の人間となることがわかる。主に登場する「マリ」の美人の姉で幼少時からモデルとしてちやほやされていた「エリ」は、誰もがうらやむ華やかな世界に身をおいているように見えながら現在”熟睡”状態の「あっち側」の人間だ。いやむしろ、その2ヶ月の”熟睡”に入る前から、「あっち側」に半分以上足を踏み入れていた。彼女は物語の最後で「こっち側」へと戻ってくる可能性を感じる。
「普通」ということは、もろいもの。もしかしたらとても貴重なこと。そう思える話だ。
印象に残っているのは、2つのこと。
一つ、ハワイのエピソード。人の価値観の違いと、手に入れたいものを手に入れるためにはそれに伴う犠牲があることを端的にわかりやすく説明している。世界をできるだけ見渡すために、海辺での飲食に不足のない暮らしを捨て、森での豊かな生活を選ばず、突き進むことを選ぶか。その時、飲食の選択肢も狭く孤独になったとしても・・・?
一つ、記憶をエネルギーとして生きているということ。人間は目の前に立ちはだかる障壁を乗り越えるために、過去の記憶を燃やしながら生きているという考え方。それは燃料だから内容は関係ないかもしれないけど、希望を回復させてくれる記憶だと乗り越える力がわいてくる。小説では「一生懸命」記憶を思い出せ、とコオロギが言ったことでマリが過去の姉との記憶を思い出し、これによって一筋の光かこの姉妹に見えてくる。

家族モノに弱いからなのか、この小説はムラカミ氏のものの割りに嫌いではない。ただ、なんというかやはり文章に軽さというか、無理やりにあいまいさや浮遊感を出している印象があるのはやっぱり好きじゃないなあ、と思った。