Coincidence smiles


Stanford大学のJohn D. Krumbolts教授がPlanned Happenstance Theory(計画的偶発性理論)(1999)というものを発表しているという。
もう6年も前に発表された理論で、『キャリア論』(高橋俊介著)でも触れられていて既に有名なものなのだが、端的に言うと

  • キャリアの80%は偶然(happenstance)によって形成される
  • 偶然は行動によって引き起こされる

ということ。以下HPにも少し説明が載っている。
http://shingakunet.com/career-g/mmag/050808/infobox/index.html
この理論を解釈すると、つまりゴールを決めてそれだけを目指すというのはナンセンスということもいえる。自分の目標がわからない、何になりたいのかわからないと悩むけど、そもそもそれを決めること自体、意味がないということを言っている。なぜなら、人生はhappenstanceによって大いに影響を受け、変化していくから。これはこのKrumbolts氏が多くの(成功している)ビジネスパーソンにインタビューをして18才のときに描いていた自分の夢を実現している人がいかに少ないかということを調べていって、たどり着いた理論。
その人達は、18才の時の夢を実現していなくても今happyか?
そう、happyなのだ。That's life.


ただし、じゃあ偶然が起こることを心待ちにして生きていけばそれでいいかというと、それはそうではない。「一点のゴール」は明確である必要はないが、「方向性」だけは持っていて、その方向性に向かって行動を起こしている必要はある。
私にKrumbolts氏の言葉を教えてくれた人は、同じをことをパスツールも言っていると教えてくれた。パスツールが言ったのは、「幸運は準備をしているものだけに微笑む」ということ。
http://ja.wikiquote.org/wiki/ルイ・パスツール
Coincidence smiles, if you're prepared.
幸運が微笑んでくれるよう、そして「その時」に迷わずそのチャンスの神様の前髪を鷲掴みにできるよう。その準備をするのがやるべきことなのだろうか。


それはわかるんだけど、その準備・行動を起こすべき「方向性」を決めるのが難しいのも一方である。ある方向性を決めるということは当然(少なくともその方向性に向かっている間は)他の方向性というのはなくなる。そのリスクの程度を見極めることが難しい。絞ったほうが集中投下できるけど、その方向性でもし無理だった場合はどの程度のリスクを背負うことになるのか?
例えば料理の世界に方向性を絞って行動をして、もしセンスがなかったら?・・・
そこまで極端ではないにしても、例えば22歳で金融界でスタートを切ったらその時点である程度絞り込まれる。もちろんある程度のやり直しはできるが。そこで自分に金融のセンスがないと後からわかってしまうことが怖いから、方向性を決めることが怖いと感じてしまうのだろうなあ、と思う。


しかし一方で、自分が考えていることや興味を持っていることに関して実際に数多くのCoincidenceやHappenstanceがおきることをすごく感じる。例えば小さな例で、先日会社の先輩と話している中で、保険の話から米国要望書の話になった。私はその存在を知らずその話の後にもそれが気になっていた。そしたらたまたま友人のblogで本当に偶然にその要望書の存在を日本で有名にしたという本が紹介された。かなりびっくりしたし、ああこれはplanned happenstanceだと感じてしまった。
これはかなり本当に偶然の例。もっと偶然性は低いけど、「自分はこういうことに興味がある」「こういう情報を探している」ということを人に話したり、調べていったり本を読んだりしていると、「●●さんが詳しいから聞いてみたら」と詳しい人を紹介してもらったり、話を聞きに行った同僚がその場で別の詳しい人を巻き込んでくれて話を聞かせてもらえたり、突然思いもよらないところからほしい情報がみつかったりする。
それはネットの世界でまさにWeb2.0の世界観という風に言われることでもあるけど、むしろリアルなコミュニケーションにおいてのほうがそれを顕著に感じる今日この頃。メールで済むことを電話したり、電話で済むことを会って話したりすると、それより安易な手段の時より幅広い偶然がおきる。
きっと、感度を磨いていけばもっとたくさんのCoincidenceが微笑んでくれるような予感がする。