諦めと期待、本当は。

ああ、そうだよなー。
この人って、こういうこと気づかない人なんだよなあ。
前のとき言ったのに、やっぱり気づかないよなあ。


とか、なんだかんだ理由をつけてぷんぷんしたり
文句を言ってるうちはまだよくて(少なくとも関心はあるわけだから)、


はあ、まただよそうだよねこの人、もう言う気力もないわ
そもそも変えようがないのよ人なんて
となってくると諦めだよね(無気力・無関心)。


でも最初は期待だったわけで、
この人はきっとこういう人に違いないとか、こんな素敵なところが
あるんだろう、とか。その期待が裏切られるたびに、人は諦めを
積み上げていってもういいよ、となっていくんじゃないかと。


最近自分についてネガな雰囲気がちょっと出てるなあと思うけど、
冒頭のような不満が紛糾してたんだよね、諸々のことに対して。


で、期待値を下げるといういうとコトバが悪いかもしれないんだけど、
悪い意味ではなくて。
今より「もっともっと」と求めていくことは、向上していくために
必要とおもうけど、それだけになっちゃうとがんじがらめに不満だけが
積もっていくように思う。
例えば冒頭の話に戻るけど、ただいてくれるだけで本当は
すごくありがたいことなんだという本当のことを忘れてしまうと、
不満や文句ばかりぶつけているうちにさらさらと自分の指の間から
色々な大切なものがなくなってしまって、いなくなってから本当はそばに
いてくれるだけでそれだけで幸せなんだということに気づいてしまう。


そんなことを考えてたら、大切なひとにちゃんと毎日
その思いを伝えられてるか心配になりました。
日々のコトバや行動の積み重ねが大きなメッセージとなって相手に届く。
だから、言うべきことを言う、けんかする、そんなことを
しながらもちゃんとあなたは大切な人です、と本当に大事なことを
伝えるのを忘れないようにしないとなあ。
そんなこと、言わなくてもわかるでしょ、なんてありえないわけです。
人間はテレパシー使えませんから。


・・・つれづれなるままに書いてしまった。


ところで今日はうれしいことがあって、前の部署の上司から本
(「TO THE BAR」to the Bar 日本のBAR 74選)を送ってもらいました。わざわざ。
その人がその本を見て私のことを思い出してくれたのも
うれしいし、それを貸してくれようと手間をかけて
送ってくれたのもうれしい。
そしてその本を見て、大好きなバーへ
心底行きたくなりました。